「悪霊」としてのトランプ現象【仲正昌樹】
マスメディアと民主主義が安易に結び付くと、その時々の世論調査における“多数の意見”が“国民の真意”だと見なしがちになる。ネットと民主主義が安易に結び付くと、RTの増幅効果によって、ごく少数の極端な意見の人たちが、自分たちこそが“国民の真意”を代表していると思い込みがちになる。単なる妄想で終わればいいが、勝ち馬に乗ろうとして“虚構の多数派”に追随する人が多いと、四年前の大統領選挙のようなことが起こるし、今回のように、革命の可能性を信じて突っ走る人たちが、議会制を破壊する行動に出る、といった事態も生じるわけである。
TwitterやFacebookがトランプ大統領のアカウントを停止したことについて、SNSを運営する私企業が、言論の正しい在り方を決定することは民主主義にとって脅威であり、望ましいことではない、と批判する論者もいる。しかし、それを言うなら、情報発信のためのメディアのほとんどは私企業によって運営されており、現代社会における情報発信は、私企業のコントロール下にあると言える。
TwitterやFacebookが特殊なのは、これらがそれぞれの形態における情報発信の市場をほぼ独占していることだが、トランプ大統領やその支持者はそれを承知のうえで、これらの媒体をさんざん利用して、面倒くさい“国民的議論”をすっ飛ばし、“虚構の民意”を表象=代理(represent)してきた。ネットと民主主義は本当に相性がいいのか、SNSにおけるサイバーカスケードをどう緩和するのか、といった本質的な議論が、大統領や支持派から本格的に提起されることはなかった。
SNSを運営する企業が、大統領の権力行使や発信力を制約するのは確かに問題だ。ただトランプ大統領に関しては、自分でそういう状況を積極的に作り出してしまったのだから、自業自得である。トランプ派が自分たちに都合の良い、新たな媒体を作り出しても、それが私企業、あるいは特定利益・圧力団体によって運営されるものである限り、恣意的なものであることに変わりはない。不快な反対意見を聞く手間をはぶこうとするのであれば、偏る一方である。
かつて空想的社会主義者として革命運動に参加し、逮捕されてシベリアに流刑になったドストエフスキー(一八二一-八一)は、小説『悪霊』(一八七一)で、革命の理念がごく少人数のサークルにおいて自己増幅していき、殺人事件にまで発展し、共同体の関係性を破壊する過程を描いている。この小説のモットーとして引用されている「ルカによる福音書」の八章が示唆するように、「悪霊」に取り憑かれた人々は、レギオン(群れ)をなして暴走しようとする。トランプ大統領のtweetを起点に拡散した、“グローバルな陰謀とそれを阻止しようとする聖者たちの闘い”という表象は、現代に「悪霊」を復活させてしまったのかもしれない。
文:仲正昌樹(哲学者)